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zoom RSS かわいい子には旅をさせろ

<<   作成日時 : 2010/02/06 02:26   >>

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画像私は旅行が好きである。
旅行先は日常から離れて客観的に見られる空間であると同時に刺激や思考のきっかけを与えてくれる。その人の人生で考え方の根本が一番かたまる頃であろう学生時代も1/4以上の日程を旅行に費やし、就職してからも幸い休みが取りやすい会社であったため、かなりの回数の旅行をしてきた。考え方の基本を旅行における経験が作ってくれたことは間違いのない事実である。いい悪いはこの際別にして。
結婚して子供が出来てもこの生活自身はあまり変わっていないのであるが、子供にとって旅行が成熟した人間に育ててくれる事ってたくさんあるのではと何となく感覚的に思っていた。でも何でそんなに旅行にお金を使うのかよく聞かれるが何が良いのか他人に説明するような機会はなかったし、自分でもよくわかっていないことに気づいて自分ではなく人が成長するのに旅行の何がどう役に立ちそうなのかを整理してみることにした。画像
色々な意見があると思うが私は理系の人間を比較的信用する傾向がある。一般的に論理的であるし実社会では論理よりも感情が優先することが(特に日本の場合)多く、正論を言うことで損をすることも多いが人として正直な感じがするのだ。文系理系という考え方の定義も必要とは思うが一般的に言われる文系と比較して本来文系の人が苦手である数字に強くてある意味知的レベルが高いといえなくもないにもかかわらず理系であることで生涯賃金が低いことが一部の調査結果等にあることもよくわかる。
その理系の人達に今までかけていたと思われる能力の一つにコミュニケーション能力がある。私も苦手だ。コミュニケーション上相手に話を合わせたり、お世辞を言ったりと言うことはとても重要なことと思うがつい自分が考える正しいことを相手と議論したりしてしまう。相手の立場に立っていないと言われればその通りである。論理の方が優先してしまうのだ。
画像海外に行くと言葉が通じないこともあるが実は一番隔たりが大きいのが価値観であったり常識であったりする。そこに正しい論理はない。世の中には色々な人がいて絶対にわかり合えない人の方が多い。でもその人達とコミュニケーションを取ることによって歩み寄ることが出来るのだ。これはなにか交渉の場でも、食事の時でも、偶然子供の遊び場で一緒になることになる地球の裏側の人におもちゃを貸して欲しいことを伝える時でも通じる。言葉が出来れば会話の中で相手を理解し落としどころを探すが、言葉によるコミュニケーションがかなわぬときにまず簡単に使えるものは笑顔である。子供は言葉がしゃべれないと親にくっつくが、次第に笑顔でどうにかなることを体で理解する。4歳の男の子でもわかっている。ベトナムの料理店のお姉さんに子供は満面の笑みを武器に仲良くなっていた。お気に入りのお姉さんにぴったりくっついて写真を撮れとのたまう。家の子ども達は2人とも母親に怒られても「でへへ」と笑っている。学校ではそうではないらしいので使い分けていると考えられる。言い方を変えると「でへへ」が相手によっては感情を逆撫ですることもあることも理解しているのだ。これは旅行に限ったことではないが少なくとも色々な人とのコミュニケーションを通じて学んだことであろう。ホテルにいたインド人が息子の顔の15cmくらいの所に顔を寄せて笑顔で挨拶するのに引きつった笑いで対応している息子を見て小学生のお姉ちゃんならともかく、この齢でも余裕があったり気分の良いときには相手に合わせる対応できるものかといたく感心した。普通嫌な顔をするはずだし、初めてならドン引きであろう。
画像海外で子供が迷子になると親子共々びびる。海外のデパートの中や街中でもプチ迷子は誰しもある。そのときに子供は叫んだり泣いたりするわけだが言葉が通じない現実に日本で迷子になるのとは違って親から離れてはいけないことを子供は体で覚える。っていうか自己解決できない子供のうちは、焦るのは圧倒的に親の方だ。親も育つな。はは。
子供は疲れてくるとだっこだの色々言ってくるが基本的に頼れるのは自分の足である。いかに親が手を引いていても突っ走ってくる自転車やオートバイから逃げるのは自分の体しかない。日本のように横断歩道を渡っていれば安心という感覚がない所に行かないと自分の体を守る感覚が失われていく。幸いなことに私はこれまでの人生で本当にやばいという体験をしたことはない。銃を突きつけられたり、強盗にあったり、それくらいはある。まあどんな状況でも頼る人がいないと自分でどうにかしないといけなくてそれが人を成長させることは間違いないだろう。
画像もひとついうと旅行は自分の常識から大きく外れる様々なことに遭遇する。常識って本当に狭い範囲のことなんだなって思う。先日子供に「東南アジアならいいのに何で日本では怒られるの?」って非常に本質を突いた質問をされて回答に窮してしまった。「こっちのほうがいいじゃん」って言われるとそうだよねと言うしかないこともある。権力側がコントロールしやすいために作られたシステムをおかしいと思うことはたくさんあるし、日本のうるさい責任逃れのための馬鹿な注意書きやアナウンス(帰りのJALでもすぐに体験できる)も自分の常識外の世界に行ったことがなければ疑問を持たない人は疑問を持たないであろう。
日本で怒られること=日本の常識から外れることは、世界の視点では常識でないかもしれないしあるいは非常識なこともある。秩序と自由、自己責任と守られた世界。その他様々な境界線は地域によって変わるのだ。普段は常識と思っていることをおかしいと思える感覚は旅行その他で全く違った環境から得られる物ではないかしら。逆に日本の良いところも大人になったら見えてくるはずだ。当たり前のことなのになんて良い国なんだろうって日本に戻ってきて感じることも多い。電車の時間が正確だったりするからね。
画像旅行の楽しみは食べものである。食べ物も常識から対極にある物が出てくることがある。特にいままでたべないと信じていたもの(一般的には昆虫や排泄物など)を食べるときはもちろんであるが、見た目以上に特に臭い物は慣れるまで時間がかかる。ドリアンや腐乳など、日本でもくさやがあるけど最初なんでこんなもの食べるんだろうって思う。でも美味しいと思う人がいるので何がうまいんだろうと思って食べているうちに段々美味しくなってはまっていく物は多い。下の子はベトナムの市場に入った瞬間かいだことのない魚醤(ヌクマム)のにおいに鼻をつまんで動かなくなってしまった。でも3日目くらいには慣れて大丈夫になった。食べるもの殆どすべてに魚醤が入っているもんね。思えばお酒も最初はそうだった。私は吸わないけどたばこもそうなんだろうなぁって思う。絶対に経験しない方がよい物もあるが食べ物は色々な物を美味しいと思えた方が人生は楽しいと思う。お酒くらいの麻薬もね。画像
まあいろいろあるが私が夢に見る内容もすごく昔の旅行の一シーンだったりするし、何度もよく見る景色というのがあってそれって頭の中に残っている何か強烈なイメージが反映されていたりすることに朝起きて気づく。それがいつのものなのかはわからない。けど学生時代に泊まった高知の駅だったり、ぼーっとビールを飲みながら眺めていたラオスの桜だったり、子供の頃母親に連れて行ってもらったサンメグロのお菓子屋だったり、小学校の時に自転車で行った秋川だったりする。結局人生の価値って思い出なのではないのかと思うことがある。難しいのはそれが計画して体験できるものではないことだ。だから旅行に行くことを正当化するのだ。「自分探し」という言葉があるがこれも正当化であろうし旅行のなかで気づく事ってあるのかと思う。それが正しいとしたら旅行にお金をかける価値はあるのではとここでも正当化してしまうのである。
親の都合で色々なところに連れ回される子供はたまったもんではないがそのうち親のようになるであろう。私たちの両親もそうだったから。

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